得意淡然 失意泰然

生きて生きて生きて生きて生きる

気候変動

経済が成長してさえいれば、科学者が技術の力でいつも世界の破滅から私たちを救ってくれると信じている政治家と有権者があまりにも多過ぎる。こと気候変動に関しては成長の熱狂的な信者たちは奇跡は起こって当然と考えている。

未来の科学者たちが今はまだ知られていない地球の救出方法を発見するだろうという前提に基づいて人類の将来を危険にさらすのはどれほど道理に適っているのだろう?なぜ理知的なエリート層が進んでそんな賭けをするのか?それは、もし状況がいよいよ悪化して科学者が大洪水を防げなくても誰かがハイテクのノアの方舟を造れるだろうと考えているからかもしれない。ただし高いカーストにいない何十億もの人々は取り残されて溺れる羽目になる。このハイテクの方舟で助かると信じている人々にはグローバルな生態環境を任せるべきではない。死んだ後に天国に行けると信じている人々に核兵器を与えるべきではないのと同じ理屈だ。

では貧困にあえぐ人々はなぜ抗議の声を出さないのか?大洪水がもし本当に襲ってきたらその損害は彼らがまともに被ることになる。とはいえ、経済が停滞したら真っ先に犠牲になるのも彼ら貧しい人々だ。資本主義の世界では貧しい人々の暮らしは経済が成長しているときにしか改善しないもの。環境を保護するというのは実に素晴らしいが、家賃が払えない人々は北極の氷が解けるよりも借金のほうをよほど心配する。

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