得意淡然 失意泰然

生きて生きて生きて生きて生きる

誰かの犠牲者にならない人生

 他人の命令によって動く人は、他人に頼ろうとしている人ともいえます。 人はしばしば 「一人で生きていけるほど自分は強くない」と感じ、 そんなとき、 強引に自己主張してリスクを冒すより、自分を操る糸を他人に預ける方を選んでしまいがちではないでしょうか。 もっと利口に強い人に自分の人生の手綱を渡してしまう結果、 悲しみや不満、 傷心、心配に悩 まされることになります。 言い訳はやめましょう。 そうすれば間違いなく誰かの犠牲者になるような人生から抜け出すことができます。

「俺は凡人だから...」 自分で自分を凡人だとか、 小物だとか思わない限り、 あなたは凡人でも小物でもありません。 相手を大物だと考えたとき、 あなたは自分で自分を敗者の側においているのです。

「どうせ・・・」 この種の考え方は自分で自分に負け組のレッテルを貼って 「みんなの犠牲者リストに載せてくれ」と頼んでいるようなものです。 もしも自分にふさわしい目標を勝ち取るつもりなら、負け組意識に甘んじることなど絶対にないはずです。

「自分だけではさばききれない。 自信のある人に代わってもらおう」 自分自身の戦いを他人に代わってもらえば自分がそんな自分であることに恐怖を覚えるようになるはずです。 また自信のある人が兄貴風をふかすようになりつけこんでくるかもしれません。

「そういうものだから仕方ない」 この種のあきらめは誤った考え方からきます。 人間を犠牲にする環境のほとんどは人間によって作られたものだとも言われます。 だから改善することは可能なのです。 変える可能性があるのに 「そういうものだから」 と言ってしまえば、 その可能性を否定してしまうことになります。 いろいろな選択肢があるのに 「こんなもんだ」 とあきらめていたら何一つ考えつかないということになります。

・その後の成り行きを効果的に予測すること 

・自信を持つこと 

・その場に応じてプランA, B, Cと実行すること ・事を行うにあたりカッとしたりこちこちになったりしない

・忍耐強く自分の求めるような人間に成長すること

物事が思うように運ばないからといって、 傷ついたり、落胆したり、 心配したりする必要はあり ません。 それは犠牲者に特有な反応なのです。 自分を主張して目的地を目指すのか、 自分を抑えてやりたいことができないままにしておくのか、 二つのうちどちらを選択するかは皆さん自身が決めることです。 すべての場合、 あなたは自分本 来の価値を出発点として行動することができます。 個々の状況においてあなたが下す選択の積み重ねがそれぞれのあなたという人間を作り上げています。 生きている限りフルに自分を発揮して生気に溢れた人生をおくりましょう。 

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一心不乱

昨今ちょっと仕事をかじった程度で「この仕事は自分の思っていたものではない」とあっさり会社をやめて しまう人がいるようです。あるいは先輩に少し怒られたからといって、くじけてしまう人もいるらしい。 しかし、仕事を好き嫌いで判断している限り、決して自分の望んでいる仕事にめぐりあうことはできないと思います。社会経験の浅い人にとって大切なのは、まず一心不乱に仕事に打ち込むことです。そして、謙虚に先輩に教えを請うことです。必死に仕事に打ち込めば必ず力がつき、自分自身の成長が目に見えてきます。 自分の天職を見つけたいがために転職を繰り返す人が多いようですが、最初は好きでなかった仕事も続 けていくうちにいつのまにか熟達して「これが天職だったんだ」と気づくこともあると思います。 1つ言えるのは、たとえば絵が好きだからといって美術学校に入って一生懸命に勉強し、卒業して10年経ったときに絵描きで生活している人は、それほど多くはないということです。これは、どんな仕事を選ぶかは、その人の才能とはあまり関わりがない」ということを意味しています。 つまりどんな仕事であれ、やってみなければ自分の天職なのかどうかはわからないということなのです。 1つの仕事に一心不乱に取り組むことなく、自分の天職にはめぐりあうことはできません。やはり、1つの ことを始めたら、簡単にはあきらめないで、とことんやり遂げる姿勢が大事だと思います。

*とことんやったら必ず天職にめぐりあえるというものでもないと思いますが、天職にめぐりあうことよりも 日々の仕事に打ち込んだ方がその人の人生においては価値あるものであると感じた方がよいとは思います。

*ビジョンを持たずただがむしゃらにやることを推奨することでもありません。

仕事をやっていると毎日毎日が判断の連続になります。そのときブレない判断をするためには自分の根底にある倫理的価値観が重要になります。そもそも仕事というのは判断さえ間違わなければうまくいくものです。それには日ごろよりものの見方、考え方を養うことが大切です。 ある人は思考の三原則は「根本的にものを見る」、「多面的にものを見る」、「長期的にものを見る」ことだと言っています。枝葉末節にばかり目を向けず、大局的・根本的にものを見ることはとても重要であります。 できるだけ本質を見極める癖をつけたいものです。多面的にものをみるには多くの人の意見を聴いたり、 読書などが役に立ちます。 最後になりますが、SBIホールディングスCEO 北尾吉孝氏は次のように言ってます。「人は仕事を通じて自らに責任を課し、義務を負わせ、自己犠牲の精神をもって努力し、研鎖を続けてゆくものなのだ。仕事とはすなわち修行だ。「仕事ができるようになる」とは人間として一流になることだ。おそらく真剣に仕事に取り組み続けた人は、みなこの考えに同意するはずだ。 ここにこそ、人生の長い期間にわたって仕事を続ける真の意味があるのだ。」

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強い感情

今回はカナダ・プリンスエドワードアイランド州出身の自己啓発作家、ビジネス書作家、経営コンサルタント、講演家、実業家であるブライアン・トレーシーのお話です。「強い感情がそれに合致する人と環境を引き寄せる」とあり、親しくなる人と疎遠になる人がいるのはそういうことだったのかぁと認識しました。

成功するためには心が裕福でなければならないという。成功する人は生きた磁石であり、 強い感情が、それに合致する人と環境を引き寄せるからだ。 自分の目標について強く思うほどそれを達成したいという気持も強くなる。その気持ちが強い ほど、目標を引き寄せる力も強くなる。この力が目標達成に必要な人やアイディア、機会を引き寄せる。通常、自分が経験する出来事は、自分の心の中の世界を映し出したものだ。自分の財産、仕事、人間関係、健康は自分の心の中のイメージをそのまま反映したものなのだ。 心の持ち方を変えれば人生は変わる。そして、心の持ち方は唯一あなたが完全にコントロー ルできるものです。この力さえあれば、必ず素晴らしい人生を創造できるはずです。 「成功者には学歴と資金が必要」などという迷信はまったく根拠がない。全米でもっとも裕福な 400人の男女の中で高校中退者は、大卒者より平均3億ドルも多くの資産を持っている。また 全米でもっとも成功している移民はロシア系であり、彼らはほとんど資金をもたずにアメリカにやってくる。それでも彼らは成功している。なぜなら彼らは成功が難しい国に育っているからだ。 そんな彼らがアメリカにくると「ここにはチャンスがいくらでもある。成功は間違いない。」と強く感じることができるのだ。その結果、アメリカ人が不可能と思い込んでいることも成功させてしまう。つまり成功に必要なのは学歴でも資金でもなく「自分は必ず成功する」と確信することなのだ。 成功するためにはいつもてきぱきと行動する習慣を身につけることだ。成功者はいつも切迫感をもっているものだ。また、チャンスを訪れるのを待ち、「チャンスが来たら、そのときに利用すればいい」と思っていてはダメだ。チャンスは向こうからやってくるのではない。自分で作り出すものだ。 アメリカの第26代大統領のセオドア・ルーズベルトは「自分が今いるところで、自分が持っているものを生かして、自分にできることをやってみよう」と言った。これこそが成功の秘訣だ。 ネガティブな思考は一円の利益も生み出さない。それどころか、あなたからパワーを奪い、気分を落ち込ませ、自身を喪失させる。さらに肉体的に悪影響を及ぼしたり、人間関係にさえ支障をきたす。反対にポジティブな思考は気分を高揚させて自信を与えてくれる。あなたを鼓舞し、性格、健 康、エネルギー、創造性に好ましい作用を及ぼす。人はポジティブであるほど幸せになれるのだ。 ポジティブな思考は心の健康につながり最高のパフォーマンスを実現してくれる。素晴らしい人生を送りたいならネガティブな思考は排しポジティブな思考を心がけるべきだ。ポジティブな思考を繰り返すとそれが習慣になる。その習慣が本当にあなたをポジティブな人間にし、人生を変えてくれる はずだ。人は同時に1つの思考しかできない。だから怒りや不満の原因になるネガティブな思考を打ち消したいならまずは意図的にポジティブな思考をするとよいのだ。 成功を手にするもっとも重要な法則の1つは、自分ではどうしようもないことに怒りや不満をためこまないことなのだ。コントロールできない過去に執着するか、ある程度コントロールできる未来に目を向 けるかはあなた次第だ。 怒りをコントロールするには「自分にも責任がある」という事実を受け入れることだ。自分の責任を認めれば他の人に怒りを感じることはできない。だから自分の責任を認めれば怒りはすぐにおさまるのだ。この場合、相手を許すのはあくまで自分の人生を切り開くためだ。つまり許すとは極めて利己的 な行為なのだ。相手とは関係なく、あくまで自分の心の平和のために許すのだ。相手に怒りを感じている限り、自分の感情の主導権は相手にある。反対に怒りが消えれば、心の中はポジティブな思いであふれる。そうなれば人生を切り開く情熱とエネルギーがわいてくるはずだ。

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気候変動

経済が成長してさえいれば、科学者が技術の力でいつも世界の破滅から私たちを救ってくれると信じている政治家と有権者があまりにも多過ぎる。こと気候変動に関しては成長の熱狂的な信者たちは奇跡は起こって当然と考えている。

未来の科学者たちが今はまだ知られていない地球の救出方法を発見するだろうという前提に基づいて人類の将来を危険にさらすのはどれほど道理に適っているのだろう?なぜ理知的なエリート層が進んでそんな賭けをするのか?それは、もし状況がいよいよ悪化して科学者が大洪水を防げなくても誰かがハイテクのノアの方舟を造れるだろうと考えているからかもしれない。ただし高いカーストにいない何十億もの人々は取り残されて溺れる羽目になる。このハイテクの方舟で助かると信じている人々にはグローバルな生態環境を任せるべきではない。死んだ後に天国に行けると信じている人々に核兵器を与えるべきではないのと同じ理屈だ。

では貧困にあえぐ人々はなぜ抗議の声を出さないのか?大洪水がもし本当に襲ってきたらその損害は彼らがまともに被ることになる。とはいえ、経済が停滞したら真っ先に犠牲になるのも彼ら貧しい人々だ。資本主義の世界では貧しい人々の暮らしは経済が成長しているときにしか改善しないもの。環境を保護するというのは実に素晴らしいが、家賃が払えない人々は北極の氷が解けるよりも借金のほうをよほど心配する。

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民主的平等主義の弊害

リーダーが民主的意識の持ち主であるといろいろな弊害が発生する。 まず部下に対して寛大であり、仕事はお願いしてやってもらうスタンス。部下がネガティブだと自分でしてしまう、有能な部下もそうでない部下も分け隔てなく扱う。評価時もごくわずかしか差をつけない(できる部下を下に引き落とし、そうでない部下を持ち上げて平均化してしまう)。そうでもない部下はいごこちがよい。このセクションは成績があがらない。平等主義は下のものを増長させる。上が下に降りてやさしくするので自分が偉くなった気になる。この場合は部下は束縛されずのびのびやれるのでうらやましいと思うかもしれないが、それは逆である。 仕事の成果をあげなくても安閑としていられる、努力を強いられない。鍛えられるべきときに鍛えられない。平等主義のリーダーの元で社員として人間として成長を阻まれる部下ほど不幸な存在はない。

「個性尊重主義」の弊害

リーダは部下を動かして仕事の成果をあげることを任務としている。そのため会社から指揮、統率、 管理の権限を授かっている。一方部下はリーダーの指示命令に従う義務、報告の義務、会社の規則規律に従う義務を負っている。これがリーダーと部下の関係の骨格である。 仕事は人が行うものだから人間的な心の交流はある。それが仕事の潤滑油となる。だが、それを重んじるばかりこの骨格を崩すことがあってはならない。部下は上司が嫌いだろうと信頼できなかろうと命令には従わなければならない。上司は部下に嫌われることを恐れて権限行使をためらってはならな い。部下は義務を果たさなければ処罰の対象となる。同様に上司も与えられた権限を行使して部下を動かすという義務を果たさなければ処罰される。これが組織のルールである。 「企業は単に従順で忠実であるだけの社員よりも高い能力を自在に発揮できる個性的なタイプの人材を求め、活かす方向に変わってきている」などという個性尊重主義の論調もあるが、これは大きな勘違いだ。会社にとって一番困るのは会社の期待に応える働きをせずに会社の信用を落とすような異端児である。次に従順で忠実だが、無能な人。一番いいのは従順で忠実で有能な人、どの会社でも “人材”と言われる人はこのタイプである。

(アイウイル染谷和巳代表のお言葉)

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第2の感情

誰もがつい感情的になってしまい、振り返ったときに「失敗した!」と思うようなことがあるかと思いますが、 そのような時は「第二の感情」を認識するとよいようです。怒り等の強いの感情を抱く前には、別の感情が存在しているというのです。 わかりやすい例を紹介します。例えば遊園地に遊びに行ったときに、子どもが迷子になったとします。 散々探し回ってようやく子どもを見つけたとき、多くの親は、「何をやっていたの!」「あれだけパパとママから離れないようにと言っていたのに!」と子どもに怒りの感情をぶつけてしまうでしょう。「何かあったらどうしよう」と不安いっぱいで子どもを探していたのですから見つかった瞬間には「ああ無事でよかった!」という安堵の気持があったはずです。これが怒りの前に存在していた第一の感情です。 怒りが爆発しそうだと思ったら大きく息を吸って冷静になり、第一の感情は何だったのか思い出すことが正解なようです。 すぐ怒ってしまい(感情的になってしまい)職場の雰囲気を悪くしてしまう管理職向けのアドバイスにもなるかと思います。

上司と部下の例でいいますと部下の失敗を上司が怒るときの第一の感情とは何でしょう? それは、こういうことです。 部下に仕事を任せるときにまさか初めから「ダメに決まっている」と上司も思っていたわけではないでしょう。彼(彼女)ならやってくれると思ったから任せたのでは?だからこそ、失敗したことがわかると 「え、まさか」と驚くのです。最初から期待していなければ「やっぱりな」と腹も立たないはずです。 人は期待を裏切られるとがっかりし、次に怒りの感情を持ちます。だからといってストレートに怒りをぶつけても、得るものはありません。 上司と部下に限らず怒りをぶつけることは良好な人間関係構築には、つながりません。温厚な人でも時として条件がそろえば感情的になってしまうこともあります。 G・ジャンポルスキー氏によれば怒りは「恐れ」の裏返しとも言われます。反対に怒りを受ける立場になったときにはこのように思うこと (何を恐れているんだと思うこと)が大切でそう思えば、売り言葉に買い言葉も防ぐことができるかと思います。時に相手を言い負かしたりすれば(論破するなど)、本人にとっては痛快でしょうが(俺の実力を見たか!って感じ)、相手の負の感情は絶対消えませんので気をつけなければなりません。 同氏によれば「恐れ」以外の感情は「愛」とのことですが、その境地に達するのはなかなか容易いことではないと思います。

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圧倒的努力

幻冬舎社長 見城徹氏の熱いメッセージを紹介したいと思います。実績がすべてを物語っていると思います。

◯自分の好きなことでいいから何かに徹底的に入れあげ、圧倒的に努力したことは、いつの日か必ず報われ徹頭徹尾打ち込んだことが血となり肉となって新しいものを作り出す力になる。

○(恋愛で学ぶ他者への想像力)高校時代には恋愛に入れあげました。人を激しく思うことで自意識や自己表現を見つめるいい機会になりました。互いの振る舞いで傷つけあったり、感情のやりとりに苦しんだり喜んだり・・・。他者をものすごく深く見つめることは人間的成長につながるものです。他人に対する想像力がなければ社会にうまく適合できません。平和な時代こういう力を養う機会はもう恋愛くらいしかないでしょう。

◯圧倒的な努力が無駄になることは1つもありません。人が無理だ、無謀だ、不可能だということでも圧倒的に努力することで8割のリスクは乗り越えられます。現状のルールや常識をうのみにせず、自分たちの手で新しく作りたくなったらまた壊す。それができれば企業も人間も、まだまだ大丈夫だと思っています。

【Poem】

「考えて考えて考え抜いて、また明日も考える。そうすることで結果はでる」 心が運動すると、風が起こる。 熱が出る。光が発生する。 人はそれに引き寄せられる。 それが君の魅力だ。 君の存在感だ。 運動しない心は何も生み出さない。 運動する心と心がぶつかり合った時、傷口が拡がる。 返り血を浴びる。涙も出てくる。 でも、そこからが本当の関係なんだ。 そこからがすべての始まりなんだ。 君たちの心は運動したか? 運動したら、わかるはずだ。 やればできる。

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