得意淡然 失意泰然

生きて生きて生きて生きて生きる

何のために働くのか

仕事に関する古い約束事の中核をなすのは「お金を稼ぐために働く」という考え方だと思います。しかし未来に向けては、この前提を問い直すことが必要です。お金があれば幸せが増すのではないか、と考える人は多いかもしれません。実際、「私が働くのは給料を受け取るため。その給料を使って私はモノを消費する。そうすることで私は 幸せを感じる」というのが仕事の世界の古い約束事でありました。しかし、多くの人が低次の欲求を満たし始めるにつれてこの前提が誤りであることが明らかになりつつあります。 手に入るお金が増えても、それに比例して幸せが大きくなるとは限らないからです。どうしてお金が増えても幸福感が高まらないのか。1つには収入が増えるほど贅沢なライフスタイルを実践するようになり、多少のことでは幸せを感じなくなるからです。 宝くじで莫大な当選金を手にした人は読書やおいしい食事など以前は幸せを感じたはずの経験に心を動かされなくなってしまいます。踏み車の上を走るハムスターのように私たちは 「幸福感の踏み車」の上を走り続け、いくら走っても前に進めない状態に陥りやすいのです。

 

宝くじの当選者の頭の中で起きていることは経済学の分野では「限界効用の逓減」という言葉で説明されます。簡単に言えば、あるものを得る数や量が増えれば増えるほどそれに価値を感じなくなるという法則です。ここで注目すべきなのは、お金と消費には限界効用逓減の法則が当てはまるが、それ以外の経験にはこの法則が当てはまらないという点です。 例えば高度な専門知識を磨けば磨くほど、あるいは友達の輪を広げれば広げるほど、私たちが得る効用は増えます。所得が増えるほど所得増の喜びは薄まりますが、技能や友達は 増えれば増えるほど新たな喜びが増すのです。

 

私たちはなぜお金と消費が好きになったのか?すべては子ども時代に始まります。 アメリカの心理学者ティム・カッサーは言います。 「親代わりに子どもの相手をしているテレビという機械は、さまざまな品物をカネで買うことが 人生そのものであるかのように描く。私たちは子どもにポルノに触れさせないように最新の注意を払う反面で、きわめて不用意に物質主義の魅力を生々しく教え込むメディアに子どもたちをさらしている」 子ども時代を終えても消費奨励のモデル提示は続きます。仕事を通じて金銭などの物質的な報酬を受け取るのが好ましいことだと繰り返し教え込まれるのです。しまいには「私はお金が好きにちがいない。なぜならお金を稼ぐためにこんなに頑張っているのだから」と考え始めるに至ってしまいます。仕事の世界で長く過ごすにつれて、私たちは仕事の金銭的側面に重きを置くようになり、お金を稼げる仕事が好ましい体験で、お金を稼げない仕事は悪い体験だという 思考様式に染まっていきます。

 

古い仕事観のもとでは、仕事は単にお金を稼ぐことを意味していましたが、未来の世界では次第に自分のニーズと願望に沿った複雑な経験をすることを意味するようになるのかもしれません。将来においては自立した働き手が自分の働き方を主体的に選ぶケースが増えると思われます。そして主体的な選択を行うためにはこれまでよりもより深く内省し自分の選択がもたらす結果を受け入れる覚悟が必要です。 私たちは職業生活で選択を繰り返し、選択を重ねることによって自分の人生を築いています。 個々の選択は時々刻々、自然におこなわれますが、それが積み重なることによりその人なりの人生の特色や傾向、働き方が次第にはっきりしていくのです。自分の自由意志に基づいて 行動しようと思えば、選択することが避けられません。私たちの前にはいつも多くの選択肢がありますが、働き方に関して何も考えずに漫然と行動するのではなく意識的に選択をすべきです。 哲学者であるピーター・コーステンバウムの言葉を借りれば、責任を負うことを避けようとすれば、 「勇気が欠かせない場面で臆病になり、自制が必要な場面で向こう見ずな行動を取ってしまう」 ということになります。 選択肢が拡がる中で、未来に向けて行われるべき賢明な選択とはどういうものなのか。 私たちがどういう未来をつくりだすかは、どの会社に勤めているかより、一人ひとりがどういう希望やニーズ、能力をもっているかで決まるということです。さらに私たちの仕事のモチベーションを高める上で大きな役割を果たすのがお金と消費ではなく充実した経験になるということなのです。

 

人間のニーズと願望が多様であることを理解し、それを好ましいことだと考える姿勢が大事なのです。私にとって重要で私が選びたいと思う体験が、あなたにとって重要だとは限りません。 この点を理解できてはじめて私たちは職業生活で一人ひとりのニーズをも受け入れる発想に転換し、 そういうニーズを仕事の世界で満たすことが可能なのだと考えられるようになります。 『働き方改革』の意味する深い部分は、私たち個々人の働き方は社会や会社が考えてくれるわけではないということを明確に示していると思います。

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