得意淡然 失意泰然

生きて生きて生きて生きて生きる

時間

(とある哲学者の語り②)

現代人は客観的時間すなわち時刻のことを人生だと取り違えている。 そうして何日までに何をする、何年後までに何をする。時刻を先取ることで人生を生きている。人生とはすなわち予定なのである。予定をたてたのは自分でしかないのに時間がないと不平をいう。しかし、時間というのはここにあるものだから、それをないという人にはないに決まっているのである。リニアモーターの時代も近づいており、「東京-大阪間が1時間も夢ではない」。しかし、そんなことを夢見た人が果たしてどれだけいいるの であろうか?東京大阪が3時間だったとき、1時間であればいいと思った 人はそんなにいないはずだ。3時間なら3時間でそれに見合った予定をたてていたはずだ。なのに技術の勝手な進歩で列車は勝手に速く走り出した。 それにあわせて人は予定をたてなければならなくなった。便利になるほどに時間は早い。忙しくなるほどに時間はなくなる。そうやって忙しい忙しいと生きていたら、なんと死ぬときがそこに来ていた。いったい人は何のために 何をしているのやら。

人生の時間は有限なのである。まったく当たり前のことなのだが、いつも人はそれを忘れる。忘れて他人事みたいに自分の人生を生きている。時間 は前方に流れるものと錯覚しているからである。人生は生から死へと向かうもの。 死は今ではない先のもの。しかしこれは間違いである。死は先にあるものではない。今ここにあるものだ。死によって生なのであれば、生としての今のここに、死はまさにあるのではないか。 こういう当たり前にして不思議な事実に気がつくと時間は前方に流れるのをやめる。存在しているのは今だけだとわかる。流れない時間は永遠である。 一瞬一瞬が永遠なのである。有限のはずの人生がなぜか永遠に実現している。 永遠の今は完全に自分のものである。人生は自分のものである。この当たり前には生きながら、死ななけりゃ気づかない。

死生観などは人それぞれだと思いますが、まあまあ私自身の価値観に合っていると思ってます。

一瞬一瞬を大切に生きたいと切に思ってます。 

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